セックスフレンドはやっぱり社会的に認められていない?

セックスフレンドで寂しくないかという恋人同士の関係の人たちがいいます。セックスフレンドでも、寂しい夜があるから次を求めていくことが出来ます。恋人同士のマンネリ化したセックスと比較をすれば、セフレの方が全然満ち足りたセックスと言えるかもしれません。

しかし、もっと俯瞰した目で連続性のことについて考えてみましょう。私達がもっと年をとった時、つまりそのような時、もうセックスという欲求とは無関係な日が来るかもしれません。その時でも、寂しい、寂しくないという観念があります。恋人同士の関係には連続性があり、側に人がおり、マンネリ化しているかもしれませんが、取り敢えず寂しくはありません。

しかしセフレの人たちは、もうセックスも欲せず、寂しさを解消するために何をしていいかということになります。しかし、別にセフレの人たちはまだ恋人同士の関係の人たちに抵抗することが出来ます。もし、そのような時が来れば、別に、コミュニティの方法など、一杯見付けることが出来ます。サークルに参加すると言うでもあり、方法など、求める気持ちがあればどうにでもなるものです。

そうではなく恋人同士の関係にありマンネリ化した関係に、怠惰な安らぎを求めている方に問題があるのではないでしょうか。実際に、そのような場所に安らぎがあるというのが、長年何も行動を起こさず脳が麻痺してしまっているか、二人でいても寂しい、虚しいということは実際にあることです。

ちょっとでも行動的な人たちは、浮気などバンバンして若い女の子に翻っているではありませんか。恋人同士の関係は夫婦となり熟年夫婦となり、絆などどんどん裏切られて行くのです。

しかし、恋人同士の関係の人たちは、更にセフレでいいという人たちに課題を突きつけます。だったら、就職活動で、面接官に対して、私はセフレでいいと堂々とのたまうことが出来るのかと。社会的に認められているのは、間違いなく恋人同士の関係です。就職して、恋人同士の関係があり、結婚して、社会はしっかり築かれて行くのです。

しかしセフレの人たちは更に言います。面接官にいちいちセフレでいいなんて言うはずはないと。もっともな話しです。そして、現代社会は、セフレでいいという人たち、そして、就職活動でまともに面接を受けないような正規雇用を求めていないフリーターで溢れてしまっているのです。

セフレとフリーターは共通している

そう、セフレでいいと言う人たちは、フリーターでいいという人たちと似ているのかもしれません。 実際に、フリーターでいいという人たちが救われている訳でなく、フリーターでいいという人たちがほとんどマジョリティーを占めれば間違いなく社会の秩序が崩壊して行ってしまうことになります。しかしなぜ、現在フリーターでいいという人たちがこれ程までに多く、マジョリティーになる恐怖さへ感じさせてしまっているのかと言えば、社会は出来る人たちによってあらかじめ築かれているからです。

自分一人が頑張っても社会は何も変わらないと思える程完全なものが既に出来上がり、フリーターでいいという人たちは、出来る社会の人たちに、ならば仕方ないなという感じで、ペットのように甘やかされて育てられて来てしまったのかもしれません。

やっぱりセフレでは良くない

何かしらやっぱりせふれ族だけ存在する世界は、社会として成り立たないことがじわりと感じていただけるのでしょうか。社会は、実際にセフレを許している訳ではありません。しかし、これ程セフレ、セフレと騒がれているのは、セックスフレンドを求めている人たちが多いと言うよりも「出会い系サイト」の陰謀・広告なのかもしれません。セフレと騒がれるようになったのも出会い系サイトの登場とほぼ同じです。