田舎に住んでいても出会いが求められる

出会い系サイトを利用するうえで一番便利だと思われるところは、やっぱり出会いを求めるうえで、特別にどこかへ出かける必要がないということに尽きると思われます。
もちろん、出会い系サイトを利用して知り合った異性とよい関係になって、デートに出かけるとかそういうことになったら話は別ですが、とりあえず誰かと知り合う段階では、どこかに出かける必要がありません。

どこかに出かける必要がないということはつまり、出会い系サイトを利用している無数の出会い候補と話をする場合も、自分の顔を相手に見せる必要がないということにもなります。
実はこの点が、出会い系サイトを利用するうえでたくさんの人から支持されている点でもあり、また同時に多くの人から批判されている点でもあるのです。
確かに、誰とも顔を合わせずにコミュニケーションをとることができるというのは便利なことです。
例えば、私のように普段は田舎に住んでいて、なかなか出会いのチャンスがないという人にとっても、出会い系サイトを利用して素敵な出会いのチャンスをつかめるかもしれないわけです。

もちろん、男女の出会いを求める方法というのは、合コンなどに参加することだけではありません。
私は田舎に住んでいるものですが、もちろんそれくらいのことは知っています。
街コンとかお見合いパーティーとか、そういうイベントがあるみたいですね。
私は、そういうイベントが頻繁に開かれている都会の生活に、けっこうあこがれているんです。
もちろん、そういう生活にあこがれているというだけで、実際に自分がそういう生活をしてみるかといわれれば、そんな度胸はないんですけど(笑)

大学生の頃は、けっこう都会での生活にあこがれたりしました。
でも、田舎者の私にとってみれば、都会での生活って、かならずしもよいことばっかりではないんですよね。
田舎者にとって、都会での生活が怖いと思われることもあるんですよ。
私のことを馬鹿にする人もいるかもしれませんが、否かってすごく閉鎖的なコミュニティーなんですよね。
それがどういうことかって言えば、要するに自分の周りがみんな知りあいという状態なんです。
それがいいことだとも悪いことだともいえるんですが、私にとっては、自分の周りがみんな知り合いだということで、まわりにて気がいないとも考えられるので、そういう環境が気楽でした。
本当に信じられないくらい人口が少なくて、学校も少ないような地域で育ったんです。
学年ごとに10人くらいしかいないような学校でした。
私にとってはこれが普通の環境だったのですが、都会の学校に比べれば驚異的に少ないらしくて、いくら今が少子化の時代だといっても、さすがに十人というのはものすごく田舎の感覚なのだなというのがよくわかったんです。

私は、街の中でも珍しく大学に進学しました。
それだから、都会がどういう場所かというのを一応知っているんです。
東京都私の生まれた地域は恐ろしく違いがあるなあと思いました。
本当は、地元で就職するかそれとも大学に進学するか、すごく迷ったんです。
都会では全然そんなこともないみたいですが、正直田舎では各家庭が家業をやっている場合が非常に多いので、大学に進学するのはぜいたくなことで、進学などせずに家業を継いで働いていくというのがごく普通の感覚でした。

私自身、そういう考え方に対して特に反発していたということもないので、私も実家の畑を継ぐのだとばかり思っていました。
必ずしも、大学に進学することが良いことだというふうには考えられませんし、また、たくさん勉強して良い大学に入るという感覚が、都会ほどは強くないように感じます。
私自身も、決して勉強が良くできたというわけではないのです。
おそらく、田舎の学校で進学校という概念は一切ないので、私の学校も、都会の大学に比べればレベルの低いところだったと思います。
別に、自分の通っている学校のレベルが低かったとしても何も困りませんし、そもそも比較の対象にする学校自体が少ないのです。
田舎ではそれが普通のことです。
ちゅうそつでいえののうかをつぐというひとだって、私の周りにはたくさんいました。

それでも私にはやりたいことがありました。
私はどうしても、絵の勉強がしたかったんです。
だから、両親や学校の先生ともよく相談して(もともと私に美大への進学を勧めてくれたのは学校の先生だったのですが)結局は思い切って、東京の美大へ進学する決心をしました。
実家の畑は兄が継ぐということになったので、やはり私は相当特殊な立場だったのかもしれません。
普通、大学に進学するんだったら長女の私ではなくて長男の兄だろうというような感覚がい中にはあるからです。
両親は、おそらく美術を学ぶ大学のことなんてよくわからなかったと思います。
それでも私のために必死に学費を出してくれました、もちろん奨学金の制度はあったのですが、それでも両親にはものすごく感謝しています。

私が都会の大学へ進学して、まず一番に驚いたのが、人の多さでした。
私の住んでいたところなんて、本当にまわりは田んぼ化畑しかないところなのです。
おまけに冬の寒さが以上でした。
東京は、実はそれほど熱い場所ではないそうなのですが、それでも田舎から東京に出てきた私にとっては、一年中ずっと熱いように感じられたのです。

人がたくさんいても、当然私には、初対面の人とのコミュニケーションの取り方というのがよくわかりません。
田舎に住んでいた時は、すでに言ったようにまわりにいるすべての人が知り合いという感じでしたが、東京に出てきたとたんに自分が独りぼっちというような感覚になったのです。

私は正直に言うと、東京に出て絵の勉強をしっかりやりたいという目的以外に、東京で誰か素敵な人と知り合って、田舎の閉鎖的な世界から抜け出したいという考えを持っていました。
田舎の生活で、基本的に結婚相手に困るということは無いのです。
私の生まれ育った地域では特に、年頃の男女が結婚しておらず、またお付き合いをしている特定の相手がいないというのはちょっとおかしいと思われるような状態でした。
家族としても、自分の子供が年ごろになっていつまでも身を固めないのは恥ずかしいということで、必死にお見合い相手を探したのです。

東京に住んでいる人にとっても、お見合いの世話を焼いてくれる親戚などは、正直なところちょっとうっとおしいと感じられることもあるようですが、田舎出のお見合いはその日ではありません。
条件などにもよりますが、基本的に、親戚などが持ってきてくれたお見合いの話は絶対なのです。
自分が何も決めずにいると、親戚が勝手にお付き合いする相手を決めてしまいます。
いったんそういうふうに男女のカップルが決定してしまうと、拒否することも難しいのです。
都会では、仕事などに忙しくて男女の出会いを求めるチャンスがなかなかないんだという話を聞いたことがあります。
その感覚は私にはいまいちわからないこともあり、もしそれが本当だとすれば、東京にはあれだけたくさんの人がいるのに、それでも素敵な出会いのチャンスがないなんていったいどういうことなんだろうとかなり不思議に思ってしまうのですが、もし、都会に住んでいても出会いのチャンスを感じられない人がいるというのが本当なら、東京に住んでいる人も、わたしとは全く違った苦労を経験しているのだろうなと思います。

私の場合、男女の出会いを求めるチャンスが全くないということは無いのですが(何しろ親戚などが勝手に相手を選んでくれますから)誰とお付き合いするのかということを考えれば、そういう自由はまったくありませんでした。

私は、自分の意志でお付き合いする相手を選べないというのがすごく嫌だったんですよ。
だから、東京の大学に進学したときに素敵な出会いのチャンスがあればうれしいなということも、正直なところ少しくらいは考えたのです。
そして確かに、東京の美大にはたくさんの人がいました。
私が結局推薦の制度を利用して進学した大学は、全国区で見てもそれなりに有名な学校だったので、日本全国からたくさんの人が集まってきていたのです。
そういう状況でも、私のように極端な田舎から上京してきている学生は少なかったです。

私はすぐにキャンパスの中で浮いてしまいました。
繰り返しますが、キャンパスの中でいくら出会いのチャンスがたくさんあったとしても、私にはそもそも、他人とのコミュニケーションの取り方というものがよくわからないのです。
だから、私の他によい出会いを実現している人たちはたくさんいるのですが、私には一切そういうチャンスがなかったです。
出会いというものはある程度、男にとっても女にとっても自分から積極的に求めていかなければならないものでした。

素敵な出会いのチャンスがあることをすこしはきたいしていたので、結局はそういう出会いがなくて、がっかりもしたんですが、結局私には都会の人たちの生活についていくのがつらかったので、仮にこの大学で素敵な出会いのチャンスがあって誰かと知り合うことができたとしても、その人との関係は長続きしなかっただろうなと思います。

素敵な出会いのチャンスがほしいけれどもそれがなかなかむつかしく、ものすごく悩んでいた私が、結局たどり着いたのは、出会い系サイトを利用する方法でした。
出会い系サイトを利用する方法では、面と向かって会話をする方法ではなくて、メールによってコミュニケーションをとることができるのです。
そのことが私にとっては気楽でした。
田舎に住んでいたくせに、なぜメールのやり取りが気楽なのかと意外に思われるかもしれませんが、そもそもなぜ、この方法が気楽なのかといえば、メールだったら、相手の話に合わせてずっと聞いているということが楽なことと、リアルタイムの会話と違って、相手がくれたメッセージに対する返事をいつ返しても構わないということです。
もちろん、相手によってはメールの返信が遅いというだけでものすごく怒る人もいましたが、わたしの場合はできるだけ、そういうきつい人とは付き合わないようにしていました。

また、出会い系サイトを利用し始めたばかりの頃からすごく驚いたのは、女の立場であったら、優良な出会い系サイトがやっているほとんどすべてのサービスを無料で利用できることと、女であるというだけで、毎日とてもチェックしきれないほどのたくさんのメールが届けられるということでした。
いくらたくさんメールをもらっても、そのすべてをチェックして返信するということはできません。
出会い系サイトを利用している限り、サイトのシステムがそうなっていることは男性の会員もよく分かっているらしく、仮に返信をしないからといって、特別な関係にまで発展しない限り(具体的にはメル友以上)メールの返信をしないからといって怒られることもありません。
男性会員もそのことを十分に分かっていて、女性の会員から返信をもらえるようなメールを送ることが、出会い系サイトを利用するうえでは重要なことなんだという通説があるようでした。
私のような田舎者には、そんな都会の常識みたいなものが通じない場合もあるのですが、少なくとも出会い系サイトを利用している間は、自分が田舎者であることをわざわざ打ち明ける必要はありません。

本当に会えるセフレサイトを利用し続けて、特別に仲良くなったと判断できた相手に対しては、私の出身地などについても話をしましたが、私の場合は例えば出会い系サイトのプロフィール欄などに自分の出身地をかかないようにしていました。
ひょっとしたら、自分が田舎者だと知られたらそれだけで出会いのチャンスが減るかもしれないというような心配がちょっとだけあったんですよ。

私はとにかく、出会い系サイトを利用し始めたばかりのころは、自分から何か話題を作るのではなくて、基本的にどんな相手からメールをもらっても、相手の話を聞くことにとにかく集中しようというふうに決めました。
メールのやり取りで「相手の話を聞く」といっても、それはつまり相手がくれたメールをひたすら読むということなのですが、このことが正直、私にとってはすごく大きなことでした。私のように閉鎖的な環境で生まれ育った人間にとって、たくさんの人が色々な価値観を持って暮らしている環境というのは、コミュニケーションをとることがむつかしい場所でもありました。
だからこそ、せっかく大学のキャンパスで素敵な出会いのチャンスがあっても、それをゲットできずに浮いていたという時期があるわけですけど。

出会い系サイトを利用し続けていると、だいたい世の中にはどういう人がいるのかというのがわかってきて、本当に少しずつですが、話題の合わせ方とか、会話の合わせ方みたいなものがわかってきたんです。
だから、ただ黙って相手の話を聞いているだけではなくて、私が相手の話にはんのうすることもできるようになってきました。
それってすごく楽しいことなのだというのが、出会い系サイトを利用しているうちにわかってきたのです。

私は結局、大学を卒業した後、そのまま東京では就職せずに実家に帰りました。
結局は自分が学んだ美術を利用してどのような仕事をするかまだ決めかねていたからです。
なんだかニートみたいですけど、家事手伝いを頑張っていれば、家業は兄が継いでくれていて、その兄も自分の仕事が嫌いでは無い様だったので、私は実家に帰ってからもう一度自分の人生を考えなおすことにしたのです。

それで、自分の出会いについても考え直してみることにしました。
考えなおすといっても、出会いを求めるために田舎でお見合いをするとか、そういうことではないんですよ。
私はそもそも、そういう田舎の価値観に反発したからこそ、一度は東京の大学で勉強したいというふうに考えたのです。
古すぎる考え方に反発する考え方はやっぱり残っていました。
出会い系サイトを利用して出会いを求めるなら、田舎にいてもできるんですよ。
だから私は絵の勉強を自分のペースで続けながら、出会い系サイトを利用することも続けたのです。
出会いを求めるといっても、いきなり結婚相手を探すとかそういうことではありません。
まずは何人かメル友をゲットすることですね、もちろん、出会い系サイトを利用し始めてから、大学生活の中で仲良くなった友達との関係も続いていたので、メールのやり取りさえできれば、実家に帰ってきても特に寂しいと感じることは無かったですよ。